学び舎

新しく学んだことや本など

経営コンサルタントを産んだ人

フレデリック・W・テイラー

 科学的管理法という本をご存じだろうか?

約130年前に書かれた本だ。著者はテイラーさんという人。

生産性を上げるための働き方を改善した人だ。彼の生み出した、科学的な経営管理論を学んで、さまざまな企業が成長発展してきた。最初の経営コンサルタントとも言われる人。

 

 エクソンシアーズローバック、フォード、GM、GE、トヨタ松下電器東芝・・・・各国の企業が共通に学んだ原点の管理法。

 もちろん、メーカーだけでなく、チェーンストアと呼ばれる企業群も、進化した形で学んでいる。経営論の古典と言える書物。

 

 私も、チェーンストア経営論を学んできた。だから、テイラーさんも学んだことになる。

 

これですね。

最近まで、経営に科学を取り入れることは良いことだと思ってきた。

いや、取り入れるべきだとは今でも思う。

ただ、この管理法が資本家の論理でなければ・・・・

 

余りに論理的で、かつ合理的な方法でまとめられているから、確かに素晴らしいのだ。

 

彼のお陰で、世界は豊かになったのは事実なのだ。

トヨタの『カイゼン』も彼の観察・分析・判断が基礎になってできている。

私は渥美俊一の「チェーンストア理論」を学んだのが・・・

 

ダイジェスト的に学ぶのにいい本。(イオン、ダイエーニトリゼンショーしまむら、市セブンイレブン日本マクドナルド・・・主だった日本のチェーン組は学んでいる)

 

ただ、常に「違和感」を覚えながら学んでいたのも事実。

なんというか、発想が・・・。人間はコマ的な発想になるんですね。

特に、渥美理論はそれを色濃く感じる。

 

経営的に、生産性を上げて社員に分配をするということが基本にあれば、そう思わないかもしれない。

 

彼に言わせると、経営者自身もコマのようなものだと書いているし・・・

そして、サラリーマン経営者を生み出すことも使命のようニュアンスの書き方もある。

 

なんとなく、エリートのためのシステムというようにも感じる理論。

 

なぜなのか・・・・その原点が、フレデリックテーラーにあった。

彼が、そもそもエリートの家系で、普通の労働者として苦労する立場になかった。

彼は、あくまで資本家に対しての効率的な経営方法を編み出したということを知った。

 

しかも、渥美俊一も東大卒、読売新聞社の超エリート思考の持ち主。

社会が豊かになったのは紛れもないテーラー主義のお陰だ。それが、会社の仕組みにまで止まればの話。

 

しかし、彼の作った標準化の仕組みは、政治、教育、各界に浸透していき、社会全体に標準という便利な物差しを作り、人間を標準の枠に収めるようなものになってしまった。

 

平均思考を捨てるー個性学

テイラーの功績を全て否定するわけではない。チェーンストア理論も。

ただ、結果的に世界的に富の一極集中化は進んでいて、資本家には金が集まり、そうでないものは搾取され続けるシステムになっているのは現実だ。

 

政治も、資本家を潤す政策ばかりに走っている。特に、日本はゾンビ型大企業が経団連という組織を作っていて、根本的に思想のない華族主義的なエリートサラリーマンが潤う仕組みなっている。

 

新興起業家が爆誕しない状況に追い込まれ旧勢力の温床になっている。

アメリカも実際は同じ状況らしい。(GAFAM以降はどうなん?)

 

ということを、ハーバード大学の個性学入門という本で知った。

 

 

平均化によって、人を識別する方法に警鐘を鳴らしている。

特に、人間の成長は、バラツキと状況とペースの原理があり、個人の成長にフィットする教育なりのあり方が大事だと言っている。

 

普通に考えるとそうだなと思う。

事例として、空軍の飛行機事故が書かれている

アメリカ軍のパイロット飛行機事故を調査して、人間の平均的な身体を出して、コックピットを設計したり、適性をハンダしようと調査した結果、平均なるものが存在しないということが判明。

 

結果、コックピットのシートの高さの調整をすることで、パイロットの体にあった操縦の高さを実現し、事故率は激減し、それが、今の自動車の座席に応用されている。

 

今の制度設計は、人間が平均に合わせるシステムになっている。その結果、その平均にアブれた人は不幸な人生を送ることになっている。

 

社会的息苦しさは、均質化された社会の制度によるものだ。

6・3・3・4という16年の枠組みで、学校教育を推進する制度設計に問題がある。

人の成長にはバラツキがある。平均内で育ちが遅いと、発達障害とみなしたり、能力がないと認定されてしまう。

しかし、バラツキと状況とペースを個人にフィットさせると、誰もがテストを及第点を取れる事例も紹介されている。

 

人間をコストに置き換えて、平均にそぐわない人間を教育システムで切り捨ててきた弊害がテーラー主義の罪だと考えさせられる。

 

テーラーの生きた時代は、工業生産の動力機が高コストで機械もエネルギーも高くついた、人間を合理的に動かす方が、安くついた時代だった。それでも、生産性が飛躍的に向上したため、一人当たりの収入も上がった(先進国のみ若しくは、早くに科学的管理法に取り組んだ企業)

 

しかし、現在はどうだろう。社会全体のことを考えない資本家、サラリーマン経営者、華族政治家の子孫たちが権力を保持するためのものになっている。

 

自分の学んできた経営学の原点を知って、改めて、考えさせられる本だった。

 

統計や、平均だけ、数字だけで人間を振り分ける仕組み、特に人間の労働をコストとみなす社会構造を作り変える時代が到来したのかもしれない。

 

正規雇用は40%を超えた、貧困を感じる世帯は55%。企業も、行政も、全てにおいて、人間が生きやすくなるための道具に過ぎないのに、ある特定のエリート?(自分のことしか考えないバカ?)のためだけに機能している。

 

全体としては、機能不全に陥った社会を、リストラクチャリングするために個性学の発展が望まれる。

 

チェーンストア理論も、結局階層分業というカーストを新たに作り出したものでしかなかった。ニトリの決算書を見ればわかる。

 

何を勉強したんだろう。という思いに駆られた。

取り止めもない愚痴ブログ。